街づくりと風水(2)

今日も風水について語らせてください。
風水好きな人は是非!

日本版風水の完成

日本に風水が伝わってきたのは、7世紀ごろだと考えられています。
文献には書かれていませんが、高松塚古墳の中には四神が描かれているからです。

飛鳥時代頃には地理と風水が融合し、陰陽道に発展しました。
それから、家相や九星占術を取り入れて、日本独自の風水ができました。
中国の風水と日本の風水は結構違うんですよ。

もっとも、違いが顕著なのが、「鬼門」の考え方だと思います。

鬼門って?

鬼門とは、北東の方位のことを言います。
風水では悪いことをもたらす大凶位とされています。
また、正反対の南西は「裏鬼門」と呼ばれ、
こちらも大凶位とされています。

しかし、中国の風水では東北が凶位とはされていません。

どうして、鬼門ができたのか?

日本の風水に鬼門が出来たのは、平安時代ごろだそうです。
平安京は風水の思想により作られたとされ、
北東には平安京の災いを防ぐために延暦寺を建立しました。

しかし、延暦寺の僧たちは、平安京を守っているのは自分たちだと傲慢になりすぎ、
政治を脅かす存在になってしまいました。
そこから、北東には脅威があるとされ、北東=鬼門となったといわれています。

また、もともと北東は動きや変化を表す方位とされ、
政権が動くこと無く長く存続するには、北東を守らなければならないと考えられました。

鬼門を使った街づくり

江戸城は、城の鬼門を守るために上野に寛永寺を建立しました。
また、裏鬼門にあたる芝には増上寺を建立しています。

家康・秀忠、家光に仕えた天海僧正は
「鬼門に当たる水戸藩出身者が将軍になると江戸幕府は滅ぶ」と予言していましたが、
実際には、15代将軍慶喜を将軍にしたところ、長く続いた江戸幕府は滅亡してしまいました。

このことからも、鬼門は災いを招くと強く信じられるようになりました。

 

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